フラグルロックのリスニング
今回は90話 『Gone,But Not Forgotten』(日本版タイトル「思い出は心の中に」) コンプリートDVDファイナルシーズン3枚目に入っています。

テーマはずばり「死」

フラグルロックは全部で96話なので、残り少ないということで、やり残したことをやろうとした回なのかもしれません。
作品中でキャラクターが死んじゃうというかなり印象的な回になっています。
実はこの2つ前の88話『The River of Life』でも「死」を連想させる話になっているのですが、危機的状況をブーバーが救うというハッピーエンドだし、見ているほうも助かると分かっていて見るだろうと思います。
でも、この90話は、ホントに死んじゃうの。
死んだフリではなく、生き返るわけでもなく、作品中で「ちゃんと死んだ」描写があるのって、セサミやマペットショーを含めてもこれだけじゃないかなと思います。マペットで死ぬシーンをやるなんてびっくり。(セサミのフーパーさんの死がありますが、あちらは「人間」ですし)

この話はフラグルロックの中でも異色です。
これを最初に見たときは、なんで死ぬのがマッドバニーのマッドウェルというわけの分からないキャラなのかなと思ったし、死ぬ話にしては感動が少ないんじゃないかと思いました。でも、見直してみて、「これってもしかしたらものすごくよく練られた話」なんじゃないかと思うようになりました。
誰かが死ぬ話って涙ありきで作られることが多いと思うのですが、この話にはそれがないんです。
この話の主人公はウェンブリーですが、泣くシーンもなければ、いつもよくやるようにパニックになったり喚いたりするシーンが全くないんです。

仲良くなった友達が、いきなり、突然、死んじゃう。病気で弱っていたわけでもなく、事故でもなく、「時が来た」というだけで目の前で死んじゃう。
彼が死んだことはハッキリしているけど、死んだことを受け入れられずどう考えたらいいのか分からない。

そうだよね、小さい子どもにとって誰かが死んだと聞かされても実感はわかないだろうし、「わーん」なんて泣いたりしないと思うもの。だからウェンブリーも泣かないし、ブーバーお勧めの「思い切り泣き叫ぶ」も、モーキーが勧める「葬式」も、ウェンブリーは「なにかが違う」といわんばかりに首を振っているのでしょう。
この回はウェンブリーが人の死を受け止めるまでを描いた成長話のような気がしてきました。マッドウェルを出したのは、フラグルやゴーグやドーザーには家族や友達がいてウェンブリーだけに焦点を合わせることができないからじゃないかと思います。「死」というテーマにウェンブリーを持ってきたのは、彼がイノセントな子どもだからに違いありません。
見直せば見直すほど、よくできていてジーンとくる話だなあと舌を巻きました。


ちなみにマッドバニーのマッドウェル(Mudwell the Mudbunny)のマッドとはmadではなく、mud 泥のことです。マッドバニーは泥でできたウサギのような生き物です。
(彼は後にマペット映画『Muppet Treasure Island 』にも出てます。そちらでも死と関連して出ています。フラグルロックのマッドウェルはゴーグ王子役のリチャード・ハントさんが演じているのですが、1992年に亡くなっており、『Muppet Treasure Island 』のほうののマッドウェルは別の方が演じています。つまり、分かる人だけ分かる演出なんですね)



それではリスニングです。
まずは日本語でストーリー紹介